74期、川口先輩の投稿です。
南信州、阿智村浪合、宮の原。
看板を拡大して右上をご覧下さい。
念流山の紹介です。
で、看板の前の愛騎「かける」(スズキV-strom
250)です。
突然の講釈。親和性です。バイクの表記に鉄騎、鉄馬を使うことが有ります。騎、馬とくれば、武士ですよね。バイクに乗りましょう。
愛騎に名前付けてます😅。
誰の墓参か?
記録に残る最古の剣豪、念阿弥慈恩、念流開祖。
ここでコビペです、相馬四郎義元とは仏門に入る前の彼の名前であり、通りが良い名前で彼を呼ぶなら「念阿弥慈恩」と呼ぶべきだろう。陰流や一刀流の源流とされる念流の開祖であるとされる、歴史的証拠の残存した最古の剣客の一人。
彼の父は新田義貞に仕える武将の一人だったそうだが、彼が五歳の時に殺され、自身も命を狙われる身となる。
その後僧となり名を念阿弥と変えるも、父を殺した剣客を赦すことは出来ず、仏門にありながら敵討ちを誓い剣の腕を磨いたという。
彼に剣技を教えたのは鬼一法眼と栄祐という人物。
前者はかの有名な源頼朝に兵法を授けた人物であり、後者は摩利支天の化身とされる人物である。
そんな二人の剣豪から学んだ秘奥をモノにしたのは何と弱冠18歳だと云う。
そうして神秘に触れ奥義を学んだ彼は寺を後にし還俗、父を討った仇敵を探し出して見事敵討ちに成功する。
しかし父の仇を討ったその時、彼の胸に去来したのは此の世の無常しかなかったという。
殺し、殺されの無為さを実感した彼は再び仏門へと下り、今度は学んだ剣術を多くの人々に教え広める様になったのだとか。
没年は不明だが、晩年は自分を念大和尚と称し、信州伊那郡羽合村に長福寺を建造し住職として余生を過ごした。
椎茸栽培の横を進むと、長福寺の碑にたどり着きます。
没年、埋葬地は不明ですが、長福寺の跡地から念墓と刻まれた石碑が見つかったのでこの地に葬られたと思われています。
異論あるかと思いますが、日本剣道の開祖として紹介されてます。
浪合はこれだけでは無かったのです❗
宮内庁‼️
高松宮殿下の碑
後醍醐天皇のお孫さんの墳墓です。
南朝方で、奮戦されました。
尹良親王墓をお祀りしている浪合神社.
長い配信にお付き合い頂き、ありがとうございました。
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