高崎高校剣道部OB会のホームページです。

2010年3月20日土曜日

第62期 加納國雄先輩,高崎にて講演


▼去る1月28日ホテルメトロポリタンにて香港政府観光局主催の昼食講演会が開催され、同観光局の日本・韓国地区局長(駐東京)である加納國雄氏が講演を行なった。香港への観光客・企業誘致の促進であるこの催しは、これまでも国内で行なわれていたが、今回は氏の故郷・群馬へと舞台を移した。冒頭に、香港は日本の農水産物の最大輸出国であり、全体の21%・金額1000億円を超えたとの説明も。そんな数字を考慮してか、来賓には県副知事や県農協中央会会長の姿も見え、総勢200名を越える盛会となった。剣友会からは横田 茂元会長(第55期)安藤富夫先輩(第61期)と藤木の参加があった。
▼加納先輩は若い頃から海外留学や勤務の経験が長く、数年前には高々でそれを踏まえた講演もされている。今でこそ、空港での「Tシャツ短パン姿」は当たり前の様に映るが、当時は成人男性が渡米しようものなら、いでた出立ちは背広にネクタイ、ポマードこってり。おまけに家族総出の一泊二日で、羽田へ見送りに行った時代である。その頃にしてアメリカに渡り、現在のJ・Pモルガン銀行グループや証券会社に勤務、帰朝してロイヤル・ドルトン・ジャパンの社長に就任、そして現在は香港政府観光局・・・・・・・・・随分時代を先駆けた方である。香港に旅行や事業展開する方は是非にご一報を。なお、私に問い合わせを頂ければ、局長付美人秘書のアドレスもこっそりお教え致します(69期:藤木)

《若かりし日の思い出》
▼加納先輩にお会いしたのは今回で三度目である。最初は、昭和43年(筆者高々2年)夏、突如として、伝説の先輩が道場に現れたのには驚いた。「加納と小野塚が負けたのは3年間で1度だけ、インターハイ県予選個人決勝で二人が戦ったから」と常々平石先生が話されていた雲上のOBである。その柔らかな物腰の何処に強さが隠れているのだろうか?と不思議さを感じた。そして、もうひとつ驚いたのは、「私は今Californiaと言う所に住んでいます」と自己紹介された時だった。「カリフォルニア」では無く、あれはまさにCaliforniaだった。その時私は思った「今、目の前にUSAがある」
▼二度目は、高々が久しぶりに関東大会に出場した平成7年の日本武道館。私と飯野君(22期)がメーンアリーナまで降りて、対浦和高校戦を見ていた時の事。27年ぶりにまたまた、突如として現れた。試合は大将戦(浅見智宏君)で辛くも勝利し、その余韻に浸っているうちに「うちの大将はガッツがあるね、じゃあ又!」と一言誉めて、足音も無く颯爽と帰っていかれた。まさにGone with the wind〔風と共に去りぬ〕だった。

2010年3月12日金曜日

高崎高校剣友会通信第1回オフ会

3月11日木曜日午後6時30分より、新町アート館にて「高崎高校剣友会通信」第1回オフ会が開かれました。出席者は、石川、小見、篠崎、藤木、関、廣兼、飯野、小池、伊藤、萩原の各先輩で、アート館特製のお好み焼き、たこ焼き、焼きそばなどを囲んで酒を酌み交わし、楽しい一時を過ごしました。新年会などでは、お目にかかれない先輩とお会いして話をすることができ意義深い第1回オフ会でした。参加者の皆様、お疲れさまでした。


アート館石川先輩より
アートとお好み焼きの店アート館の石川です。昨夜は剣友会の藤木会長はじめ事務局および有志の方々総勢9名でご来店いただき大変感激いたしました。剣友会の皆さん今後とも宜しくお願いいたします。本当にありがとうございました

2010年3月1日月曜日

北野寛平君(105期)が県予選優勝。 全日本都道府県対抗剣道大会出場を決める!!

2月28日(日)ぐんま武道館において「第58回全日本都道府県対抗剣道大会」の県予選会が開催された。母校OB北野寛平君(筑波大3年)は次鋒の部に出場し、激戦の末初優勝を果たした。本戦は4月29日(祝)大阪市中央体育館で開催される。

▼昨年から同大会の選手構成は大きく変更された。以前は女子が務めていた先鋒を男子高校生、次鋒を男子大学生とし、女子は別日程で「女子都道府県対抗剣道大会」が開催される事になったからである。今春4年生に進級する彼にとっては、次鋒の部は今大会がラストチャンス。つまり、従前通りであったら、参加することさえ出来なかったこの予選会に出場し、優勝するという「運」も味方に付けたのである。
▼実は、彼は中学・高生時代その身体能力を相当高く評価されてはいたものの、「ガラスの心臓」に於いてもかなりの有名人であり、県内で中々実績を残す事が叶わなかった。その彼が進学先に剣道の名門「筑波大」を選択し、全国の強豪ひしめく環境に身を置き、精進した結果が今回の快挙と言えよう。彼は2年時に同大の新人戦メンバー(選手7人補欠2人)に選ばれている。残念ながら出場の機会は得られなかったと聞いているが、名にし負う筑波や国士舘・中央・明治・法政などの強豪大ではレギュラー・準レギュラーに本校OBはおろか県内出身者が仲間入りした実績は数えるほどである。
▼当日の試合においては、次鋒出場者数は予想を下回っていたが、同門筑波大や新興の国際武道大などの強豪選手の中にあって、落ち着いた戦い方、そしてなにより人が変わったような強い「気」を崩すことなく、絶えず「先」を懸けていたのが主たる勝因である。これからもその「気」を失うことなく精進され、益々の活躍を期待するところである。
なお、予選会には剣友会事務局長:小池政一七段も大将の部で出場し、決勝戦に進出したが延長の末連続ン十回優勝の谷勝彦八段に惜敗した事、及び審判員として飯野・藤木が参加したことを付記しておきます。

2010年2月28日日曜日

あれ、俺のボールはどこ行った Part2

74期の川口先輩から「俺のボールはどこ行ったーPart2]のレポートが届きました。ゴルフの海外遠征のお話です。今夏の翠巒体育会ゴルフコンペでは、剣道部OB会のために「大活躍間違いない!?」です。
今年の2月にグァムのマンギラオへ離島ゴルフで行ってきました。名物のNo.12、海越えのショート160ヤードでは、引っ掛けて、海におとしました。写っているのは、私ではありません。INはボールを7個無くして、63回。OUTはOBは無く、5パーの3ダボ、1トリで45回、めでたく、ブービー賞をいただきました。相変わらずのゴルフです。緯度も経度も、国境も、私の腕には、何の影響が無いのが良く分かりました。
また、昨年の7月には、仲間4人で、石垣島でゴルフしようって訳で、石垣へいつたのですが、ゴルフ場は隣の小浜島にしかなくて、小浜島でゴルフしてきました。小浜島のゴルフ場には日本の最南端と最西端の二つの「最」がありました。


2010年2月23日火曜日

竹一筋、竹刀から尺八へ

2月某日、71期の大山駿作先輩を群馬トヨペットの本部に訪ねました。受け付けで「お約束がある」旨をお伝えし、まもなく秘書の方が現れ案内してくれました。通された場所は、立派な社長室!そうです、大山先輩はこの会社の社長さんなのです。
 インタビューは剣道の話から始まりました。
中学から始めた剣道は、高高時代、県大会で前商を破って優勝しました。(ちなみに当時の精鋭は、松田、神保、井草、大山、飯島、神岡、戸塚、他の面々でした。敬称略)それから40年経った今、娘さんが剣道を始めたのがきっかけで、剣道を再開され、ご自身で防具を新調し、稽古とともになんと加圧トレーニングにも励んでいるとのこと。(すごい!)
大学に進んでからは、竹刀と同じ竹は竹でも尺八に魅力を感じ「竹桐会」というクラブに入り、尺八の練習に打ち込みました。現在でも尺八の練習は続けていて、年に2、3回の発表会にも参加しています。尺八の腕前は「大師範」で剣道で言うと七段くらいに該当し、お名前が、琴古流大師範、大山鈴高となります。尺八の思い出で忘れられないのは、トヨタ自動車主催のフランス旅行に参加し、パリ、オペラ座のホワイエ(壁画、天井画の施された食事のできる豪華なロビー)というところでギターと尺八のセッションで演奏したことです。
このように日本の文化に造詣の深い大山先輩ですが、やはりビジネスマンとしてゴルフの腕前も上級クラスです。30代の頃、会社の新規事業として「モダンゴルフ」というゴルフ練習場を立ち上げ初代支配人を務めました。当時は、深夜にかけて、練習場の球拾いの仕事まで行い、体重が53キロまで落ちてしまったそうです。その代わり、練習する時間はたくさんあったので、現在の実力もそのころ身につけられたのでしょう。翠巒体育会のクラブ対抗ゴルフコンペでは、平成10年の剣道部による団体戦優勝に貢献し、平成19年の同コンペでは、個人戦で優勝しました。(すごい!)ゴルフで悩んだときは、群馬テレビの番組でも有名な池内プロとラウンドしてアドバイスをもらうそうです。(うらやましい!)
大山先輩は「お酒を飲まないから時間があるのでいろいろなことをやっている」と謙遜されていましたが、そのチャレンジ精神はお仕事にもいかんなく発揮されているのではないでしょうか。
インタビューが終ると先ほどの秘書の方と大山社長ご自身が玄関まで我々を見送りに来てくださいました。どうもお世話になりました。

2010年2月5日金曜日

高々剣道部 二大会連続《四強》を逸す

去る1月23日(土)ぐんま武道館に於いて「群馬県高校剣道新人戦」が開催され、母校高々剣道部は第四シードで出場したが、目指していた二大会連続四強には一歩届かず、八強に留まった。
 
昨秋の「群馬県高校剣道選手権大会」において、母校は凡そ6年ぶりに県内公式戦で三位入賞を成し遂げ、その余勢を駆って今大会に臨んだ。優勝を果たし、3月の「全国高校センバツ」に出場するまでの実力は持ち合わせないにしても、5月開催の県高校総体で三位以内に入賞し、念願の関東大会出場を果たす為には、ベスト4を死守し第四シード以内に残留する事が必須条件である。
第一試合桐生工業を4-0、続く第二試合中之条高も4-0で撃破したが、ここまでは想定通りと言わせて貰おう。日頃の稽古と選手の実力からすれば当然の結果であり、また選手も「これくらい朝飯前」の気位を持たねば、行く末も知れようというもの。次はいよいよコート決勝、すなわち四強決めだ。対するは高崎北高、女子は昨秋開闢以来の団体優勝を遂げ、今大会でも全国初出場の切符を狙っているが、かたや男子は、ここ迄の戦いぶりから推して、それ程の力はないだろう。この相手のこの戦力なら・・・・・なんと恵まれたポジションに居るのだろう。檄をとばすこちらにも、若干のゆとりさえ生まれる「我等に勝算あり!さあ、もう一踏ん張りだ」。
 先鋒戦は互いに良い所が見受けられず引き分け、続く次鋒戦の相手は上段だが、お世辞にも強さを感じさせない。案の定、力無く打ち下ろした片手面の後に当方が裏からの「摺り上げ面」を先取して一本勝ちし、これでひとまず息をつく。ところが期待の中堅戦では粘り強さが見られず、逆に面を拾われての手痛い一本負け。これで試合は振り出しに戻った。副将戦も先鋒戦と同じく決め手無く引き分けとなり、いよいよ全くの五分で大将戦に突入だ。当方は身の丈六尺を優に越す期待の上段選手である。高校入学後すぐに「上段を執りたい」との申し出があったが、「先ずは中段の気攻めを覚えてから」と制し、半年の辛抱の後、上段に打ち込んだ成果が表われ、最近では相応の結果を残している。その大将戦も大事を取りすぎたため、双方とも中盤まではぎこちなさが目立つ。相手大将に迷いも見られるものの、それにも増して、当方の上段も左拳が定まらず、一本に至る技が無い。「これはまずいな!」と嫌な雰囲気が漂ったその刹那、手元の浮いたところに小手を痛打され一本を献上、ややあって無情の時を告げる笛が鳴り、万事休すとなる。その後準決勝・決勝戦の結果により高々の八位が確定された為、高校総体は自動的に今大会優勝校前橋育英の第一シードと同ブロックの第八シードとなる。平成8年山梨大会以来14年ぶりの関東大会出場を果たすには、大きな障壁が立ちはだかる結果となった。

《選手への辛口短評》

「試合とは、日頃の修行の成果を試しあう場である」という表現に大きな間違いは無いが「技量だけを比べ合い、優劣を決する」単純な物ではない。倒すべき実像の強敵が存在し、打ち勝つべき己の「四戒」(驚・懼・疑・惑)「驕り」と言った虚像の邪心が行く手を遮る中で、勝者となるための資質を有しているか否を試し、それらを克服した者のみに栄誉を与えるのが試合と言う生き物である。そして諸君は、「剣の道」を嗜む武道者であると同時に、勝負に勝たねばならぬ宿命を持ったアスリートなのだ。
難しく言うのは止めよう。要は「技」と「心」を鍛えて勝つのだ。ただし、ナマクラな技でも相手が弱ければ切れるが、強い相手だとそうは行かない。強い相手を切れる技を身に付けよう。心も然りだ。少しばかり手強い相手となると、心が怯んで、萎縮してしまっている。このままでは勝者にはなれない。例え相手が強くとも、「いや、俺のほうが強い筈だ」と根拠の無い自信でも、とり合えず持つことが必要だ。根拠と本物の自信は後から作れば良い。いや、作れる!作って見せるのだ。そして、一番肝心な事は、「剣道は心を打つもの」と心得よう。初めは「そんな真似は出来っこない」と思うかもしれないが、目指さなければ何も出来ないし、そこを掴まなければ一生涯、剣道の強者にはなれない。そもそも自身を振り返ってみれば、負けた時は殆どの場合「心」を打たれているのだ。そして、「相手の心」を打つのは竹刀でなく「己の心」というのが剣道の真理なのだ。また、話が難しくなってきてしまったので、そろそろ終わりにしよう。これからも時間を見つけて、稽古に行くので一緒に頑張ろう。そして残り半年足らずとなってしまった二年生には、より一層の精進を望む。
≪後悔を、先に立たせて歩いてみれば
                 杖を付いたり転んだり≫
「後悔、先に立たず」の諺を揶揄した歌です。後悔しない人間なんてこの世に居ないと言う事だよ。でも、ベストは尽くさなければね。

≪剣友会諸兄へ≫
「高女」で剣道部の部外指導者を始めて5年に成ります。高校の試合では監督や、男女の審判も努めています。母校も今年は健闘していますが、他校は更に努力しており、ベスト4の壁は相当高くなっています。そんな中でも、前高はNO,1~NO,3の座をキープしています。県内低年層の勢力が東高西低である事も一大要因ですが、高々と高女にも出来ない筈は無いと確信しております。今迄幸いな事に剣友会々員のご息女を4人指導させて貰いました。相変わらず強面でなおかつ、髭を生やしているので生徒に怖がられていますが・・・・・・・・・・一昨年と昨年ともに十数回母校で稽古をしました。今年も「出来るだけ数多く」を心がけています。これからも高々&高女にご声援を。 (観戦記共:69期 藤木正行)

2010年2月3日水曜日

龍星館はすごいゾ!

75期の中曽根裕和先輩は、七段の高段者です。高校生のころから剣道に賭ける情熱は人一倍(?)でしたが、なんと最近、新築の家を建てるときに、龍星館という剣道場を家の一階に作ってしまいました。いつでも稽古ができるようにです。でも剣道は一人ではできません。そうです。奥様も剣道六段、現在前橋方面の某男子高校の監督をしているのです。

中曽根先輩は高校生のころから、「剣道は心です」という名言をはいて先輩の間で有名になりました。その真意は今でもよくわかりませんが…。今度お会いする機会があったら、お聞きしてみようと思っています。

ちなみに、道場の看板『龍星館』(写真)の文字は、書家の大先生に書いていただいたそうです。